奥の細道 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、 |
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| ■弊社も同様に創業百年を迎え、先人の思いと歴史の重みも添え各地につづらなるお客様との交流を知る人、知らぬ人もあわせ此度の創業明治及び大正・昭和の歴史をふまえて築きあげてこられた先達方々の事業とは何かを学ぶ大切な年周りになりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 一言で百年とはそうそう簡単には言えず、芭蕉の句を借り顧客と弊社の繋がりを改めて心に刻む事となりました。 また、このような歴史的事実を考証し現代に至る弊社の経緯を纏め、尚かつ視覚的にも表現出来るように本コーナーを作りました。 |
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| 2005/12/02 弊社は、創業100周年記念祝賀会を横浜グランドインターコンチネンタルホテルにて執り行いました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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宇津木計器の百年 ご挨拶 世紀創業(100周年を)迎えて顧みますと、明治38年11月(西暦1905年)祖父宇津木 住三が東京京橋で、航海用クロノメーターの修理業を開業して以来、その間一貫して舶用業界で操業を継続させて頂き、本年で、ちょうど100周年を迎えることが出来ました。 一口に100年の創業の歴史を語ることは出来ませんが、明治・大正・昭和・平成と4世代に渉り継続致しましてこの間、日露戦争の終結、第一次世界大戦、関東大震災、世界経済の大恐慌、満州・支那事変、第二次世界大戦、敗戦後の経済混乱、第一次・第二次オイルショック、バブル崩壊など、大きな社会・経済の困難を乗り越えて参りました。 今日100周年を迎えられますこと、これ偏に皆々様方のご支援と、お引き立ての賜物と深く感謝申し上げる次第でございます。 本日を期に私共は新たな時代への飛躍を目指し、あらん限りの知恵と力を振り絞り、また、決意も新たに業界各位のご要求にお答えしながら、信頼と満足頂ける製品のご提供に邁進する覚悟でおりますので、今後ともに何卒、倍旧のご指導とご鞭撻をお願い申し上げましてご挨拶とさせていただきます。 株式会社 宇 津 木 計 器 代表取締役社長 宇津木 洋三 |
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| このページについては現在進行形で開始しており、完成の見込みはありません。 弊社の事実のみお伝えし、現代と過去をいきつ戻りつつ視覚的及び文献など編纂し構成したく歩んでみたいと願っております。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| それでは、最近の弊社をご紹介をさせて頂き歴史を辿る創作記を書き上げていきます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
横浜物語 1905 索引
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黎明期______1905年 その時代 時計は先進技術の結晶であった。 |
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| 現在、かのSEIKOは創業1881年船舶時計の輸入販売を手がけ1892年に時計製造部門を発足させた。そんな時代に弊社「創始者 宇津木 住三」は、丁稚奉公から独立し25歳の折、時計の修理事業を展開した。 折しも時は日本海大開戦1905年であり富国強兵の真っ直中、舶用時計は手巻き機械式でありこの頃に前後し現代ステータスシンボルでもあるスイス製ローレックスも生まれた。 軍備、商船など航海計器としての舶用時計の始まりであった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 創始者 宇津木 住三 明治13年11月4日(西暦1880年)出生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
舶用時計では、特に著名的製品としてULYSSE NARDIN(ユリス・ナルダン)スイスがあり1846年創業で高精度海洋クロノメーターは、実に100年以上を経過し40ヶ国以上「海軍の公式時計」として不動の地位と名声を保っていた。 |
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| 荒廃と復興期______1923年 人々はかくも厳しく生き抜いた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分(以下日本時間)に伊豆大島、相模湾を震源として発生した直下型の大地震によるものであった。東京都・神奈川県・千葉県・静岡県の各県を中心に、関東地方の広い範囲に大きな被害をもたらした。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この震災にて当時「東京-京橋」にて事業展開中であった宇津木住三の家財及び記録されるべき写真等を全て失う事となり、横浜への転出となった。この編集に当たり当時の多々記録映像も参考としたが、見るに堪えない光景が広がっておりこれを割愛する。 復興が進み、港が整備されるに従い、徐々に貿易量も増加し、船の出入港も増加し、関係業者の仕事量も増加し、復興にも拍車がかかる様になってきた。 そんな中、かねてよりの住居及び工場が大正13年3月に完成し、横浜市本牧において事業を再開となる。 |
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時計師としての技術取得から航海術から計測器(コンパス・六分儀・バロメーター)理論を吸収し現在の弊社製品の原点が培われて来た。 |
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関東大震災前に蓄えた技術として、クロノメーター修理業を経て商船学校・水産練習所のお出入りしパロメーター・六分儀・コンパスなどの修理業を再開させた。 |
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先の震災では大きな損害を受けたが、震災後は被災地をいったん全て国が買い取る形で大きな復興計画が動いた。 江戸時代以来の初めて東京-街の大改革を行い、道路拡張や区画整理などインフラ整備も大きく進んでいった。 また、この期「震災以後」日本で初めてラジオ放送が開始され、人々の情報化も加速され始めた。 |
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